プロフィール

『少年期』 1949~1966

 幼少期は、暇さえあれば、川や海、野山を駆け回って、服やズボンを汚したり、かぎ裂きにしたり、また手や足をガラスの破片で切ったり、擦り剥いたりすることは日常茶飯事でした。bl_003.jpg
 その都度、母親は、また「ごんた」をして、ズボンを汚してから・・・と、よく叱られていました。
 それを聞いた近所の男の子は私のことを「ゴン」を呼ぶようになり、女の子は「ゴンちゃん」と呼んでいました。
 中学生になると、私も少しは男っぽくなり、女の子は「ゴンさん」と、さん付けで呼ぶようになり、それが現在に至っており、長い歴史を感じるニックネームとなりました。


『高卒の就職先での職種』1967~1969
 工業高校を卒業して、愛知県名古屋市の非鉄金属加工業に就職し、仕事を覚えることに専念し、2年が経過する時期にふと周りを見ると、二bl_004.jpg十歳の私と、20代、30代、40代、50代 と全ての人が同じ仕事をしているのに気付きました。
 え~今後、30年間以上3交代勤務をしながら、この仕事を毎日、繰り返し繰り返し行うのか?ほんとに生活のために仕事をしなくてはならないのだろうか?
仕事に生きがいや喜び、達成感を得られるような仕事はないのだろうか?等々考える日々でした。
そこで、3年目の夏の賞与をもらったら、退職をしよう!後の事は田舎に帰り、考えることにしようと決意!


『次のステップへチャレンジ!』 1969~1971
 さて、何が出来るのか、どの様な職業があるのか、または進学して再チャレンジをするかなどの選択肢を様々考え、図書館などで情報を収集し、分析した結論が、これからの時代はコンピューターが発達・普及するのでコンピューターに携わる職業は良いらしい!
 では、コンピューターに携わる職業とはプログラマー、システムエンジニアなどがあり、プログラム言語を習得しなければ ならい、そのためには専門学校で習得する方法があり、その専門学校は都会にはあるらしい。・・・・が判明した。

 よし!東京へ行こうと決意して、専門学校のパンフレットを取り寄せ、入学手続きを行い、知り合いを通じてアパートや アルバイト先を決め、いざ!東京へ出発・・・・

 東も西もわからない、知り合いも少ない東京での暮らし、アルバイトをしながら、夜間の情報システム専門学校に1年間通い、プログラミングやシステム設計手法などを 身に着け、某大手情報処理企業に就職が決定しました。


『IT企業…充実・満足の職業期間!』 1971~1985

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 東京本社勤務から1年が過ぎたころに、故郷に営業所(計算センター)が できるので、転勤しないかとの要請に応え、自宅から通勤できる営業所勤務になり、地方自治体や民間企業の受託情報処理計算のためのプログラミングやシステム設計に大苦戦の日々でしたが、システムが完成し、受託処理計算を完了させ成果物を納品できたときの感動は満足できるものでした。

 受託情報処理での計算センター業務にもなれた頃に世の中ではコンピューターの小型化が進み、オフィスコンピューターが誕生し普及してきました。
 全社で小型コンピューターの営業部門を拡充することが決定され、1978年4月に当営業所でも小型コンピューター営業部門を新設するとのことで、 私一人でその部門を担当するように辞令が下り、またまた未知の世界へチャレンジです。bl_007.jpg

 受託情報処理は大量のデータ処理を行うのは得意分野ですが、日次処理には不適応であることから、受託情報処理ユーザの中から即時処理に適したユーザーを選別して小型コンピューターの自己導入を提案すと、その全てが導入に踏み切っていただけ、的を得た戦略でした。
 順調に推移するある時期にクライアントの一社である某全国規模の企業より、全国総合オンラインシステムを開発するために技術者を募集しているので、是非、来てほしいとのお誘いを受け、さまざま検討した結果、 転職を受諾することとしました。



『システム開発専門職~システム設計』 1986~1990
 新システム開発プロジェクトが設置され、プロジェクトメンバーは外部コンサルタント会社社員と当プロジェクトメンバー総勢約20名で発足して基本設計を進めることになりプロジェクト内での中核を得る働きがで、順調な滑り出しでした。

 設計業務終盤に差し掛かり、プロジェクトも100人規模となり
  ①メインフレームのハードウエアー~ミドルウエアー設計チーム、
  ②アプリケーション設計チーム、
  ③事務設計チーム、
  ④帳票設計チーム
 の4チーム編成替えとなり、私は②アプリケーション設計チームのチームリーダーを担うことになりました。
 4年の歳月を経て、スステムも完成し、各地方部署への普及・運用開始の時期に情報システム専門職から総合職への転換を希望する。

『総合職~役員登用に至る!』 1991~2011
 約4年の単身生活に終止符を打ち、自宅からの地方支社(組織)勤務となり、さて、何をすべきかな~と自問自答!

 支社、営業所の業務を見直し、各営業所の共通業務は支社に集中して、営業所は営業に特化、強化を目指すことを提案して、各種事務の集中化、電算業務の集中化、情報システムを活用した営業支援業務の集中化と 次から次へと集中化が進み、営業所の営業への特化が進み、マンパワーと予算が営業へ向けられると高い評価を得ました。

 当支社の成功事例が全国規模で営業所の営業特化(強化)と地方支社機能の強化が進むにつれ、私の評価が高くなり、転職後勤続13年・年齢50歳で 役員への登用が決定されました。

役員就任後は・・・
  ◆◆地方勤務4年間
  ▲▲地方勤務6年間
  関連事業会社2年間
  以上、12年間務め全ての役職を離任~現在に至る

趣味
 剣道:子供の頃より続けており、今でも週に6日は稽古をしています。

  bl_001.jpg・剣道教士 七段

  ・少年剣道指導(週3日)






 ゴルフ:20代後半で始めましたが、月一ゴルフなのでHC18のままbd999.jpg
 木彫り:現在3年のキャリア、月2回の教室通い
 読書:最近は時代小説ばかり
 旅行:国内は年2回ペース、海外は2~3年に1回程度


この記事へのコメント

  • 池田剛士

    通達(みと・あかつかカンファレンス)*メディア対策室;安倍晋三 首相案件(ムチン騒乱)【令和の改新】#令和の大号令
    http://kokiblg.seesaa.net/article/467366068.html




    学術秘書
    池田です。


    ご承知おきください。
    http://kankan2025.jp/

    では。


    この件に関するお問い合わせ先:
    みと・あかつかカンファレンス事務局長
    ラクトース研究班「いもいち2025」班長代理
    有限会社学術秘書
    本店営業部
    池田剛士
    〒311-4141
    茨城県水戸市赤塚1-386-1-107
    電話:029-254-7189
    携帯:090-4134-7927
    2019年06月22日 08:33